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ハイ、こんばんは。TOKIOのリーダー、城島茂です。今週も始まりました!城島茂のTOKIO CLUBですけどもね、いやぁ、早いもので、この番組、開始してから13年、やってたんですけど、今週が、ついに!最終回ということで。いやぁ、13年、あっという間ですよ、ホントに。この番組、始まってから、そんだけ経つってことは、もう、そん時、生まれた子が、もう、中1でしょ?ホンマに。早いもんですわ。この季節は、やっぱり、出会いと別れっていうかね、卒業式とか、始業式とか、ありますけども。ま、この番組も、そういう意味では、サヨナラを言わなきゃ、いけない!というね、ちょっと今日は、センチメンタルな感じの30分になりそうな気も、しないでもないんですが。でも、淡々とやってきたね、この番組ですから、なんか、淡々と終わろうかな?と思ってるんです(笑)よね。それが、なんかTOKIO CLUBっぽいかな?って感じがするんですが。でも、最初ね、この番組、始めた時に言われたんが、ディレクターさんに言われたんがですね、最初の3分!3分で、ちゃんと、きっちり、いろんな!ことを喋りなさい!3分あれば、何でも喋れると。この最初の、曲、いくまでの3分を、とにかく大事に喋ってねって言われたのがね、未だに僕の中でね残ってますね。だから、いつも曲、いく前にね、あぁ、今日は何分喋ったなぁ、とかってね。曲、入ってから、いつも、あ、今日は2分やったな、とか、あ、2分半やったな、とかね。でも、最初、始まった頃は、この3分がプレッシャーでね!ラジオ。もう13年前とか、12年前とか、始まって1年まではね、もの凄い!ぶっちゃけ、苦痛なぐらい、3分って、大変やなと思ったんですよ。ここまで話して、今、1分、え~、2分ぐらい? もう、経つんですけどね。1分50秒?ねっ! まだ、1分、残ってんですよ!だから、3分っていうのは、どんだけ貴重な?30分番組の中での10分の1やけど、初めが、肝心でしょ?目の前に今、お茶ありますけどね、「はじめ」って言ったから、思い出したんですけど(笑)。ま、その中で、でも、この13年の中でTOKIOは、CDデビューもできました。…で、初のTOKIOのね、レギュラー番組が、この番組だったんですよね。ラジオから始まった、というグループなんで。だからホントに今日で終わるっていうのは、ちょっとね、寂しい感じもしますけども。でもね、その代わりに、なん~か、代わりっつったらアレですけどもね、リスナーのみなさんから、もんの!凄い、大量!の、メール、ハガキ。「いつも、これぐらい送ってくれや!」っていうぐらいね(笑)山積みよ!そんな中で、今日は、いっぱい!ね、もうホンマに出来る限り!読みたいと思います。とりあえず、全部!すべて僕は目通してます。その中で、作家さんがね、同い年の作家さんがね、渡してくれるんで、ちょっと、1曲かけたあと、ジャンジャン!紹介していきたいなと思います。さ、それでは、TOKIOのニューアルバム、2月2日に発売されました「ACT Ⅱ」の中から、この曲を聴いて下さい。TOKIOで「Sunset.Sunrise」
(曲演奏)
さぁ! それでは早速いきましょうか。今日で、ついに最終回ということで、皆さんからね、大量の、ホントに、ハガキ、メール、お便り、頂いてます。ホントに、ありがとうございました。ここで、紹介したいと思います。『私は、スタート当時から聴いてますが、TOKIO伝言板というコーナーで、生まれて初めて、ラジオでハガキが採用されて、凄く嬉しかったのを覚えてます。ホンの十数秒なのに、テープ3本くらいにダビングして、何度も聴いてました。13年の間に、ラジオが始まった当時は、知り合ってもなかった主人と結婚し、今は、2歳になる息子もいます。そう思うと、13年って、ホント長いですね。これまで妊娠したこと、出産したことをハガキに書いて、茂くんに読んで貰い、言葉をかけてもらって、ホントに嬉しくてラジオの前で飛んで喜んでたのを思い出しました。TOKIO CLUBは、テレビでは聞けない茂くんの話や、TOKIOの裏話など聞けて、とても楽しかったです!』って書いてますけども。はぁ~、ありがとうございました。なるほどね。当時は、だから、ハガキね。今みたいに、こう、携帯のメールとかなかったから、13年前って。ねぇ!時代が変わったね!(笑)結婚しはったんやねぇ~、そやねぇ~。よかったね。じゃ、2歳になる息子、もっと大っきなってね~、ハガキ送って欲しかったけどね(笑)。でもね、ホントに、これは、いい記念になったんじゃないでしょうかねぇ~? さ~、もう1枚。『寂しいです。TOKIO CLUBがなくなるなんて、考えたこともありませんでした。私は、第1回目の放送からのリスナーだったので』凄いなぁー! 多いなぁー!『移りゆくTOKIO CLUBの歴史は、いつも一緒に経験してきたんだと思います。ここ数年は、茂くんのトークのまったり度が高くなってきてて、その優しい語りに、どれだけ癒されたことか。珍しい組み合わせの実現するアコギライブも、凄く楽しみでした。ハガキを読んでもらえた事も嬉しかったし、(11年前のことです)まだ実感がありません。今は、ひとまず、お疲れ様でした。どうもありがとう!』こちらこそ、ありがとうですよ。いやぁ~、でもね~。そうそうそう、この番組ではね、TOKIOのメンバー呼んで、ライブでは、なかなか、やれないこと、この番組の中でね、いろいろやってきましたけど。この番組ならではバージョン!みたいなね、いろいろやってきましたよ、ホントに。懐かしいですよ、ホントに。山口達也の、達也バージョンの「君を想うとき」とかね。なんか、バラードとか、いろいろね、やったりもしてましたけども。 さて、もう1枚。『恥ずかしい話なのですが、私はTOKIOがラジオをやってることを、全く知りませんでした。自分が、高2になった時に、やっと知りました。リーダーのラジオが終わってしまうのは、ホントに寂しいし、ビックリしました。私は、リーダーのダジャレが大好きです。昔5人で、ラジオをやっていたということを聞いたんですが、どんなコーナーがあったんですか?ちょっと、面白いエピソードありましたら、教えてください』って書いてますね。あっ、そっかぁ。意外と、ラジオやってることって、知らなかったりすんのかなぁ~?テレビわな、パチッ!てね、つければね、パッ!と見れますけど、ラジオってね、ちょっと、その、アクション的にね、チューニングを、チューナーをね、合わせなきゃいけなかったりしますからね。ま、そんな中でも、やっぱり、こうやって聴いてくれる人がね、たくさんいたというのはね、いるっていうのは、嬉しいですけども。さて、今、ちょっとね、お便りにあったんですけども、昔5人でね、確かに、この番組をやってたんです。1992年の4月11日に、もともと、この「TOKIO CLUB」っていうのがスタートしましてですね、最初は5人で、メンバー全員でね、喋ってたんですよ。毎週、幹事を決めて5人の中で、交代、交代で、番組を進行するスタイルで。で、裏テーマでね、ディレクターさんが、僕ら初のデビュー前の初のレギュラー番組だったんでね、ラジオのラの字も知らずに入ったみたいな、ホンマに、ナンやろ?声だけで勝負っていう部分って、13年やったらね、ある程度、慣れた部分、なかったらオカシイんやけど、最初は、もう、全員が、いっせいに喋りだして、誰が何喋ってんのか、どの声が誰なのかって、判らんぐらいの時代だったんでね。今ほどTOKIOのメンバー、じゃ、リーダーがダジャレを言うかとか、認知度は、全然なかったんで、今から考えると。だから、そういう裏テーマが、毎週、決めてましてね、ディレクターさんの方から。ちなみに、2回目の目標がですね、1回目やった時にね、こらアカン!と思ったんでしょうね、ディレクターさんが(笑)。2回目、目標を出してきまして、そのね、目標がね、ここに、あるんですけど、「人のキーワードを聴き逃すな!」って書いてあんの。で、「語尾をはっきり」で、最後は、「だれるな! なめるな!」って(笑)。初のレギュラーなのに、もう、その頃からTOKIOって、いい加減やったんや(笑)と思う。いっつも!怒られてばっかしでしたからねぇ、ラジオだけじゃなくて。一番ね、始末書、書かされたグループ、事務所で、ウチら。事務所、呼びだしくらって、必ず、怒られてたもんな。あぁ、絶対、誰か、なんか、したなぁ、いうてね。そんな中、始まった、1992年4月11日からスタートの「TOKIO CLUB」だったと。それから、2年後ですわ。2年間ね、全員でやってたんですよ。で、1994年の4月9日に僕がメインパーソナリティー。で、たまに、メンバー1人がゲストで参加する、みたいな形態に変わったの。で、ある時、そう、思い出した!事務所に呼びだしされて、僕。「城島!ちょっと事務所に明日来なさい」エッ!?メンバーに、さりげなく電話して「なぁ?呼び出されてる?」「ううん」えっ!?僕や!ちょっと待て!って。1994年の4月ったら、まだTOKIOがデビューしてないんですよ、9月ですから。いつ、デビューすんのやろ?いつ、デビューすんのやろ?と思いながらね、やってた時代ですよ。僕、呼びだされた時に、あっ、クビか…覚悟しやな、アカンなと思って、事務所、行ったんよ。解雇通告っていうの?(笑)ヤバいーっ!と思ってデビューもしてへんのに奈良のおっかさぁ~ん!とか思って、悲痛な面持ちで行ったら、事務所のおエラいさんの特別室みたいの、あるんですけど。座ってはって「えっと今日は何でしょうか…?」もう、喉カラカラ!ホンマに。まだ、当時事務所が赤坂のね、方に、全日空のホテルの、なんか、近くにあったとこでね、六本木駅から、そこまで歩いていくのがね、10分ぐらいかかるんですよ。下り坂なんですけど、事務所までが。もの凄い!上り坂に感じたもんね。ほったら「いやいやいや、今日は、怒るんじゃないわよ」って。「ハイ!?」「いや、怒るんじゃないの」あぁ、もうそりゃ、そうだな。事務所解雇っていうことは、もう怒ることもないんやろなぁと思って(笑)。よう、聞いたら「TOKIO CLUB、アンタ一人でやらへん?」つって。あっ、そういうことっすか!って、あぁ~!もう、ごちそうさまっす!つってね、始まったんが1994年の4月。ほんで、それから、遅れること、9月に、やっと(笑)CDデビュー出来たというね、そういう歴史があったんですけどね。これ、ホンマに、今やから言える裏話(笑)。ホンマに。あん時、焦った!それが13年続いたんやもんなぁー!いや、凄いですわ、そう考えたら。今、懐かしいこと、思い出しちゃいましたけどもね。 おっ?なんか、あ!キューシート!キューシートもありますよ。ちゃんと保存してあんの?このキューシートって。あっ、キューシートって、何かと言いますとね、番組の進行表みたいなもんですわ。紙切れ1枚に「何分に始まって、何分ぐらいで、曲、いく」とかね。で「ここでTOKIO伝言板っていうコーナーがあるよ」とかね、で、あとは「最後のお便り、紹介して下さい」みたいなね。シートがあるんですよ、紙が。そのこと、キューシートっていうんですけど。今週の目標、書いてあるわ。「第8回7月11日土曜日21時半から21時55分」って書いてますね。これ、ディレクターさんが書いてたんですね。ラジオに必要な、3つの「り」。「段取り。気配り。ハッタリ」(笑)ハッタリかい!ナニ?ナニ、それ!?聞いたことないよなぁー!造語やな。「今週の目標。第7回7月4日。聴いてる人は、テスト中。明るく、元気に、はしゃぎすぎないように」(笑)葬式での会話みたいな感じになってる。「ダラダラするな、時間のムダ。考えてから話せ」はぁ。今週の目標。これ、多分6月20日ぐらいですかね。「爽やかに、元気よく。ラジオの向こうは知らない人だと思え」こういうの、いろいろ書いてますよ。第4回!もっと、さかのぼってる。今週の目標。「話題から逃げるな。短い言葉でつないで、それから考えろ」ちょっと待って!今の、ちょっと前の目標「考えてから話せ」って書いてんのに「短い言葉でつないで、それから考えろ」って(笑)。「調子をつかめ。調子にのられるな」なるほどね。なんか、いろいろありますよね。さぁ!ということで、いろいろ紹介してますけども、いったん!CMです。
「城島茂のTOKIO CLUB」今夜は最終回ということで、ジャンジャンね、おたより紹介してますけども。続きまして紹介していきま~す!【ラジオネーム、「しげちゃん好き好き」】照れるね、なんか(笑)、自分で読んでて、「好き好き」って(笑)。可愛らしいね!『城島さん、こんにちは。私の学校の校長先生は、よくトチるんです。学校の名前を言う時も、ナゼか微妙にトチって、集会の時、笑うのを必死でこらえてます。8日に卒業式がありました。【『あ~、ホント、おめでとう!』】その時も、「卒業生の皆しゃん!」って言ってました。【リーダー、爆笑】こういう校長先生って、許されますかね?』好っきやなぁ!卒業したないなぁ!そういうとこ。ええなぁ。すっごい、もう、ムーディーな、なんか、こう、あぁ~、もう、サヨナラやぁ、今週みたいな感じよ。あぁ、終わるんやぁと思って「卒業生の皆しゃん!」思い出できたね(笑)。僕も最後噛んだら、どうしよう?みたいな。さ、続きまして。『「はじめ(一)」の広告採用を賭けた、達也さんとの習字対決の模様をテレビで見ました』これ、言われんねんな、もの凄~い。『1回で見事に決めた力強い達也さんの文字は、達也さんらしいし、何度書いてもヘロヘロな茂くんの文字は、茂くんらしくて、オカシかったです。文字は人を表すんですね』ほっとけ!!そうそう、お茶のね、広告、どっちが採用されるか?って、習字対決したんですよ。「一」!って書くだけやけど、難しいな!と思いましたけども。『習字対決は結構ワイドショーで流れてたので、全国規模でリーダーって習字、苦手なんやとか、リーダーってプレッシャーに弱いんだと印象付けたかもしれませんね。習字対決や「はじめ」のCM撮影エピソードがあったら、教えてください』あれは、そう、正月撮ったんですよ、CM。今、流れてるの、見た方、いると思うんですけど。正月のね、正月休み、返上してね(笑)、撮ってて。ほんで、あの時期に茶畑っつ~のがね、綺麗な色が出る茶畑が、なかなかなくてね、鹿児島まで行ったんですけど。最初、タイとか、あっちのほうに行こう、言ってたんやけど、いろいろあったから、それは、ちょっと、昨年からのプロジェクトやったんだけど、それ、実は、で、いろいろ、やっぱり、そっち方面はね、あったんで、じゃ、国内にするしかないねっつって、撮りに行ったんやけど!!コレはもうね、なんつったら、いいんやろ?手短に話すね、もう、あんま時間ないから、終わってまうから。この話して、最後、終わってしまったらね、アレやねんけど。僕、昔、鹿児島、住んでたんですよ、子供ん頃。で、田舎が鹿児島、みたいなとこがあって。夜、僕、ホテルの方に、自分が住んでた場所を見ときたいと。港町に住んでたんやけど、ボク。地形が変わってて、埋め立てになってて、全然、あるはずだった目印のものがなかったんよ。で、住所は覚えてない。かあちゃんに聞いても、電話しても、覚えてない。なんか、みんなで打ち上げしてたんやけど、スタッフと。一人抜けだして、その付近じゃないかと思われるバーに行ったんですよ。で、カウンターで飲んでて、ここらへんかなぁ~?と思って、聞いたら、「ん~、どうでしょうね?」って、バーテンダーさんは言うんやけど、奥から、40代ぐらいのバーテンダーさんが出てきて、「どういうことですか?」あ、この人やったら知ってるかな?って「ん~、確かに、ここらへんですね。ちょっと待ってくださいね」って、持ってきた写真?デカいパネルの、自分が若い頃の写真を男2人で、ワーゲンかなんか、波止場に停めて、ポーズきめてる写真があったんやけど。その写真の背景に、自分が住んでた、その目印やった今は無き、目印があって「ココです!」って、「この前のマンションに僕は住んでたんです!」って。古いモノクロの写真の中で、あるバーで。出会えたの。過去の風景に。で、「じゃ~、そんな気分なんで、一杯、この気持ちで作ってもらえますか?」って、作ってもらったら、深酒して何飲んだか忘れてんねん。覚えてないっていうオチ(笑)。僕らしいやろ?終わり方が。こんなんで終わんの(笑)。だから、言ったやろ。バーには、物語がある。ラジオには、愛がある、と。いうことですけども。さ、今日は、いろいろね、ちょっとね、読みましたけども、全部読めなくてね、ゴメンね。みんなね、送ってくれたのに。ここで、ちょっと、お知らせがあるんですが、すでに、TBSラジオのホームページなどを見て、ご存じの方もいるかと思いますけども、4月8日から、TBSラジオで、城島茂の新しい番組がスタートすることになりました。金曜の夜12時から、1時間の生放送でお送りします。「城島茂のどっち派?!」という番組です。残念ながら、関東のみでのね、スタートになってしまうんですけども、ま~、ボク的には、新しい番組をね、作っていきたいと思いますんで、ぜひ、聴いて欲しいなと、関東圏の方は。ということで「城島茂のTOKIO CLUB」としては、最後の放送となります。今からかける、この曲について、たくさんの質問やね、メール、ハガキ来てたんでね、ちょっと、かけたいと思うんですが。いつも、最後にかけてるね、曲は「ワンナイト・マジシャン」っていう曲でございまして、当時は、バンドじゃなくてね、踊りながら歌ってたんですよ。その「ワンナイト・マジシャン」っていう曲を。だから、声は、もの凄い!若いよね。間違いなく、みんな10代って感じの声で。僕は20歳越えてましたが。多分。そんな中でね(笑)エンディングで、唯一、この番組で、最後、エンディングで、かけてたという曲でね、その曲をかけて 聴きながら、お別れしたいかなと思います。これまで13年間お聴き下さいまして、ホントに、ありがとうございました!じゃ、最後に聴いてください。TOKIOで「ワンナイト・マジシャン」
(曲演奏)
さて、そろそろ、お別れの時間ですけど、「ワンナイト・マジシャン」聴いてもらってますが。ホントに13年間、お聴き下さいまして、誠に、ありがとうございました。作家のね、オオノくん、ありがとう。同い年でね、ずっと、やってくれました。それから、ディレクターの皆さんもね、歴代のプロデューサーの方も、皆さん、ホントに、ありがとうございました。そして、リスナーの皆さん、僕にとっては、リスナーの皆さんも、あなたも、大事なスタッフの一人だったと僕は思ってます。「TOKIO CLUB」今日で終わっちゃいますけどもね、これからが始まりということで、皆さん、頑張って欲しいなと思います。僕も負けないように頑張るんで。ということで!本日は、このへんで。またいつか、どこかで。TOKIOのリーダー、城島茂でした。さよなら!
(曲演奏)
さぁ! それでは早速いきましょうか。今日で、ついに最終回ということで、皆さんからね、大量の、ホントに、ハガキ、メール、お便り、頂いてます。ホントに、ありがとうございました。ここで、紹介したいと思います。『私は、スタート当時から聴いてますが、TOKIO伝言板というコーナーで、生まれて初めて、ラジオでハガキが採用されて、凄く嬉しかったのを覚えてます。ホンの十数秒なのに、テープ3本くらいにダビングして、何度も聴いてました。13年の間に、ラジオが始まった当時は、知り合ってもなかった主人と結婚し、今は、2歳になる息子もいます。そう思うと、13年って、ホント長いですね。これまで妊娠したこと、出産したことをハガキに書いて、茂くんに読んで貰い、言葉をかけてもらって、ホントに嬉しくてラジオの前で飛んで喜んでたのを思い出しました。TOKIO CLUBは、テレビでは聞けない茂くんの話や、TOKIOの裏話など聞けて、とても楽しかったです!』って書いてますけども。はぁ~、ありがとうございました。なるほどね。当時は、だから、ハガキね。今みたいに、こう、携帯のメールとかなかったから、13年前って。ねぇ!時代が変わったね!(笑)結婚しはったんやねぇ~、そやねぇ~。よかったね。じゃ、2歳になる息子、もっと大っきなってね~、ハガキ送って欲しかったけどね(笑)。でもね、ホントに、これは、いい記念になったんじゃないでしょうかねぇ~? さ~、もう1枚。『寂しいです。TOKIO CLUBがなくなるなんて、考えたこともありませんでした。私は、第1回目の放送からのリスナーだったので』凄いなぁー! 多いなぁー!『移りゆくTOKIO CLUBの歴史は、いつも一緒に経験してきたんだと思います。ここ数年は、茂くんのトークのまったり度が高くなってきてて、その優しい語りに、どれだけ癒されたことか。珍しい組み合わせの実現するアコギライブも、凄く楽しみでした。ハガキを読んでもらえた事も嬉しかったし、(11年前のことです)まだ実感がありません。今は、ひとまず、お疲れ様でした。どうもありがとう!』こちらこそ、ありがとうですよ。いやぁ~、でもね~。そうそうそう、この番組ではね、TOKIOのメンバー呼んで、ライブでは、なかなか、やれないこと、この番組の中でね、いろいろやってきましたけど。この番組ならではバージョン!みたいなね、いろいろやってきましたよ、ホントに。懐かしいですよ、ホントに。山口達也の、達也バージョンの「君を想うとき」とかね。なんか、バラードとか、いろいろね、やったりもしてましたけども。 さて、もう1枚。『恥ずかしい話なのですが、私はTOKIOがラジオをやってることを、全く知りませんでした。自分が、高2になった時に、やっと知りました。リーダーのラジオが終わってしまうのは、ホントに寂しいし、ビックリしました。私は、リーダーのダジャレが大好きです。昔5人で、ラジオをやっていたということを聞いたんですが、どんなコーナーがあったんですか?ちょっと、面白いエピソードありましたら、教えてください』って書いてますね。あっ、そっかぁ。意外と、ラジオやってることって、知らなかったりすんのかなぁ~?テレビわな、パチッ!てね、つければね、パッ!と見れますけど、ラジオってね、ちょっと、その、アクション的にね、チューニングを、チューナーをね、合わせなきゃいけなかったりしますからね。ま、そんな中でも、やっぱり、こうやって聴いてくれる人がね、たくさんいたというのはね、いるっていうのは、嬉しいですけども。さて、今、ちょっとね、お便りにあったんですけども、昔5人でね、確かに、この番組をやってたんです。1992年の4月11日に、もともと、この「TOKIO CLUB」っていうのがスタートしましてですね、最初は5人で、メンバー全員でね、喋ってたんですよ。毎週、幹事を決めて5人の中で、交代、交代で、番組を進行するスタイルで。で、裏テーマでね、ディレクターさんが、僕ら初のデビュー前の初のレギュラー番組だったんでね、ラジオのラの字も知らずに入ったみたいな、ホンマに、ナンやろ?声だけで勝負っていう部分って、13年やったらね、ある程度、慣れた部分、なかったらオカシイんやけど、最初は、もう、全員が、いっせいに喋りだして、誰が何喋ってんのか、どの声が誰なのかって、判らんぐらいの時代だったんでね。今ほどTOKIOのメンバー、じゃ、リーダーがダジャレを言うかとか、認知度は、全然なかったんで、今から考えると。だから、そういう裏テーマが、毎週、決めてましてね、ディレクターさんの方から。ちなみに、2回目の目標がですね、1回目やった時にね、こらアカン!と思ったんでしょうね、ディレクターさんが(笑)。2回目、目標を出してきまして、そのね、目標がね、ここに、あるんですけど、「人のキーワードを聴き逃すな!」って書いてあんの。で、「語尾をはっきり」で、最後は、「だれるな! なめるな!」って(笑)。初のレギュラーなのに、もう、その頃からTOKIOって、いい加減やったんや(笑)と思う。いっつも!怒られてばっかしでしたからねぇ、ラジオだけじゃなくて。一番ね、始末書、書かされたグループ、事務所で、ウチら。事務所、呼びだしくらって、必ず、怒られてたもんな。あぁ、絶対、誰か、なんか、したなぁ、いうてね。そんな中、始まった、1992年4月11日からスタートの「TOKIO CLUB」だったと。それから、2年後ですわ。2年間ね、全員でやってたんですよ。で、1994年の4月9日に僕がメインパーソナリティー。で、たまに、メンバー1人がゲストで参加する、みたいな形態に変わったの。で、ある時、そう、思い出した!事務所に呼びだしされて、僕。「城島!ちょっと事務所に明日来なさい」エッ!?メンバーに、さりげなく電話して「なぁ?呼び出されてる?」「ううん」えっ!?僕や!ちょっと待て!って。1994年の4月ったら、まだTOKIOがデビューしてないんですよ、9月ですから。いつ、デビューすんのやろ?いつ、デビューすんのやろ?と思いながらね、やってた時代ですよ。僕、呼びだされた時に、あっ、クビか…覚悟しやな、アカンなと思って、事務所、行ったんよ。解雇通告っていうの?(笑)ヤバいーっ!と思ってデビューもしてへんのに奈良のおっかさぁ~ん!とか思って、悲痛な面持ちで行ったら、事務所のおエラいさんの特別室みたいの、あるんですけど。座ってはって「えっと今日は何でしょうか…?」もう、喉カラカラ!ホンマに。まだ、当時事務所が赤坂のね、方に、全日空のホテルの、なんか、近くにあったとこでね、六本木駅から、そこまで歩いていくのがね、10分ぐらいかかるんですよ。下り坂なんですけど、事務所までが。もの凄い!上り坂に感じたもんね。ほったら「いやいやいや、今日は、怒るんじゃないわよ」って。「ハイ!?」「いや、怒るんじゃないの」あぁ、もうそりゃ、そうだな。事務所解雇っていうことは、もう怒ることもないんやろなぁと思って(笑)。よう、聞いたら「TOKIO CLUB、アンタ一人でやらへん?」つって。あっ、そういうことっすか!って、あぁ~!もう、ごちそうさまっす!つってね、始まったんが1994年の4月。ほんで、それから、遅れること、9月に、やっと(笑)CDデビュー出来たというね、そういう歴史があったんですけどね。これ、ホンマに、今やから言える裏話(笑)。ホンマに。あん時、焦った!それが13年続いたんやもんなぁー!いや、凄いですわ、そう考えたら。今、懐かしいこと、思い出しちゃいましたけどもね。 おっ?なんか、あ!キューシート!キューシートもありますよ。ちゃんと保存してあんの?このキューシートって。あっ、キューシートって、何かと言いますとね、番組の進行表みたいなもんですわ。紙切れ1枚に「何分に始まって、何分ぐらいで、曲、いく」とかね。で「ここでTOKIO伝言板っていうコーナーがあるよ」とかね、で、あとは「最後のお便り、紹介して下さい」みたいなね。シートがあるんですよ、紙が。そのこと、キューシートっていうんですけど。今週の目標、書いてあるわ。「第8回7月11日土曜日21時半から21時55分」って書いてますね。これ、ディレクターさんが書いてたんですね。ラジオに必要な、3つの「り」。「段取り。気配り。ハッタリ」(笑)ハッタリかい!ナニ?ナニ、それ!?聞いたことないよなぁー!造語やな。「今週の目標。第7回7月4日。聴いてる人は、テスト中。明るく、元気に、はしゃぎすぎないように」(笑)葬式での会話みたいな感じになってる。「ダラダラするな、時間のムダ。考えてから話せ」はぁ。今週の目標。これ、多分6月20日ぐらいですかね。「爽やかに、元気よく。ラジオの向こうは知らない人だと思え」こういうの、いろいろ書いてますよ。第4回!もっと、さかのぼってる。今週の目標。「話題から逃げるな。短い言葉でつないで、それから考えろ」ちょっと待って!今の、ちょっと前の目標「考えてから話せ」って書いてんのに「短い言葉でつないで、それから考えろ」って(笑)。「調子をつかめ。調子にのられるな」なるほどね。なんか、いろいろありますよね。さぁ!ということで、いろいろ紹介してますけども、いったん!CMです。
「城島茂のTOKIO CLUB」今夜は最終回ということで、ジャンジャンね、おたより紹介してますけども。続きまして紹介していきま~す!【ラジオネーム、「しげちゃん好き好き」】照れるね、なんか(笑)、自分で読んでて、「好き好き」って(笑)。可愛らしいね!『城島さん、こんにちは。私の学校の校長先生は、よくトチるんです。学校の名前を言う時も、ナゼか微妙にトチって、集会の時、笑うのを必死でこらえてます。8日に卒業式がありました。【『あ~、ホント、おめでとう!』】その時も、「卒業生の皆しゃん!」って言ってました。【リーダー、爆笑】こういう校長先生って、許されますかね?』好っきやなぁ!卒業したないなぁ!そういうとこ。ええなぁ。すっごい、もう、ムーディーな、なんか、こう、あぁ~、もう、サヨナラやぁ、今週みたいな感じよ。あぁ、終わるんやぁと思って「卒業生の皆しゃん!」思い出できたね(笑)。僕も最後噛んだら、どうしよう?みたいな。さ、続きまして。『「はじめ(一)」の広告採用を賭けた、達也さんとの習字対決の模様をテレビで見ました』これ、言われんねんな、もの凄~い。『1回で見事に決めた力強い達也さんの文字は、達也さんらしいし、何度書いてもヘロヘロな茂くんの文字は、茂くんらしくて、オカシかったです。文字は人を表すんですね』ほっとけ!!そうそう、お茶のね、広告、どっちが採用されるか?って、習字対決したんですよ。「一」!って書くだけやけど、難しいな!と思いましたけども。『習字対決は結構ワイドショーで流れてたので、全国規模でリーダーって習字、苦手なんやとか、リーダーってプレッシャーに弱いんだと印象付けたかもしれませんね。習字対決や「はじめ」のCM撮影エピソードがあったら、教えてください』あれは、そう、正月撮ったんですよ、CM。今、流れてるの、見た方、いると思うんですけど。正月のね、正月休み、返上してね(笑)、撮ってて。ほんで、あの時期に茶畑っつ~のがね、綺麗な色が出る茶畑が、なかなかなくてね、鹿児島まで行ったんですけど。最初、タイとか、あっちのほうに行こう、言ってたんやけど、いろいろあったから、それは、ちょっと、昨年からのプロジェクトやったんだけど、それ、実は、で、いろいろ、やっぱり、そっち方面はね、あったんで、じゃ、国内にするしかないねっつって、撮りに行ったんやけど!!コレはもうね、なんつったら、いいんやろ?手短に話すね、もう、あんま時間ないから、終わってまうから。この話して、最後、終わってしまったらね、アレやねんけど。僕、昔、鹿児島、住んでたんですよ、子供ん頃。で、田舎が鹿児島、みたいなとこがあって。夜、僕、ホテルの方に、自分が住んでた場所を見ときたいと。港町に住んでたんやけど、ボク。地形が変わってて、埋め立てになってて、全然、あるはずだった目印のものがなかったんよ。で、住所は覚えてない。かあちゃんに聞いても、電話しても、覚えてない。なんか、みんなで打ち上げしてたんやけど、スタッフと。一人抜けだして、その付近じゃないかと思われるバーに行ったんですよ。で、カウンターで飲んでて、ここらへんかなぁ~?と思って、聞いたら、「ん~、どうでしょうね?」って、バーテンダーさんは言うんやけど、奥から、40代ぐらいのバーテンダーさんが出てきて、「どういうことですか?」あ、この人やったら知ってるかな?って「ん~、確かに、ここらへんですね。ちょっと待ってくださいね」って、持ってきた写真?デカいパネルの、自分が若い頃の写真を男2人で、ワーゲンかなんか、波止場に停めて、ポーズきめてる写真があったんやけど。その写真の背景に、自分が住んでた、その目印やった今は無き、目印があって「ココです!」って、「この前のマンションに僕は住んでたんです!」って。古いモノクロの写真の中で、あるバーで。出会えたの。過去の風景に。で、「じゃ~、そんな気分なんで、一杯、この気持ちで作ってもらえますか?」って、作ってもらったら、深酒して何飲んだか忘れてんねん。覚えてないっていうオチ(笑)。僕らしいやろ?終わり方が。こんなんで終わんの(笑)。だから、言ったやろ。バーには、物語がある。ラジオには、愛がある、と。いうことですけども。さ、今日は、いろいろね、ちょっとね、読みましたけども、全部読めなくてね、ゴメンね。みんなね、送ってくれたのに。ここで、ちょっと、お知らせがあるんですが、すでに、TBSラジオのホームページなどを見て、ご存じの方もいるかと思いますけども、4月8日から、TBSラジオで、城島茂の新しい番組がスタートすることになりました。金曜の夜12時から、1時間の生放送でお送りします。「城島茂のどっち派?!」という番組です。残念ながら、関東のみでのね、スタートになってしまうんですけども、ま~、ボク的には、新しい番組をね、作っていきたいと思いますんで、ぜひ、聴いて欲しいなと、関東圏の方は。ということで「城島茂のTOKIO CLUB」としては、最後の放送となります。今からかける、この曲について、たくさんの質問やね、メール、ハガキ来てたんでね、ちょっと、かけたいと思うんですが。いつも、最後にかけてるね、曲は「ワンナイト・マジシャン」っていう曲でございまして、当時は、バンドじゃなくてね、踊りながら歌ってたんですよ。その「ワンナイト・マジシャン」っていう曲を。だから、声は、もの凄い!若いよね。間違いなく、みんな10代って感じの声で。僕は20歳越えてましたが。多分。そんな中でね(笑)エンディングで、唯一、この番組で、最後、エンディングで、かけてたという曲でね、その曲をかけて 聴きながら、お別れしたいかなと思います。これまで13年間お聴き下さいまして、ホントに、ありがとうございました!じゃ、最後に聴いてください。TOKIOで「ワンナイト・マジシャン」
(曲演奏)
さて、そろそろ、お別れの時間ですけど、「ワンナイト・マジシャン」聴いてもらってますが。ホントに13年間、お聴き下さいまして、誠に、ありがとうございました。作家のね、オオノくん、ありがとう。同い年でね、ずっと、やってくれました。それから、ディレクターの皆さんもね、歴代のプロデューサーの方も、皆さん、ホントに、ありがとうございました。そして、リスナーの皆さん、僕にとっては、リスナーの皆さんも、あなたも、大事なスタッフの一人だったと僕は思ってます。「TOKIO CLUB」今日で終わっちゃいますけどもね、これからが始まりということで、皆さん、頑張って欲しいなと思います。僕も負けないように頑張るんで。ということで!本日は、このへんで。またいつか、どこかで。TOKIOのリーダー、城島茂でした。さよなら!
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