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TOKIO NIGHT CLUB!
こんばんは。松岡昌宏です。オープニングのコーナー「松岡的タレント名鑑」。本日は「そ」。「そ」って少ないのよ。今、携帯見たんですよ。一人しか入ってないの、「そ」が。(笑)ご紹介します。そうる透さん。(笑)え~、おぉーー!っていう方と、はぁ!?って方と(笑)いると思うんですけども、え~、ナニを隠そう、そうる透さんという方は、プロドラマーですね。もう、ミュージシャンです。もう、日本を代表する有名なドラマーの方であり、え~、ナニを隠そう、私の師匠です。だから、僕の使ってるスティックもウチの師匠のそうる透モデルですね。DVDも結構出してます。ドラム関係のものとか。ま、出会いはですね、僕が二十歳ぐらいの時ですかね?19か?出会いの時ですから、もうカレコレ、14年とかなるんですけれども、え~、ちょっとやっぱり、いろんな、僕、ドラムスクールとか行った事がなかったので、それまでずっと独学で、あの、ドラムをやってたんですね。で、そのある時に、レコーディングをしてる時に、やはり、行き詰るという部分が出てきまして、それで、これはちょっと、あの、イイ人いるから見てもらえよという形でご紹介してもらったのが、そうる透さんだったんですね。ま、もう、スゴイ長い付き合いになりますけれども、もう、ホントに公私ともに仲良くさせてもらってる、いいオジちゃんです。結構離婚してますけど(笑)。結構離婚してます。あ、面白いエピソードあります!え、(笑)何年か前に、一緒にリハーサルやってる時に、「いやぁ、今日さぁ、マツ、イイ女いてさ、うわぁと思って、思わず戻ってさ、見に行ったら、いっとう最初のカミサンだった」(笑)って、そういうロックな男です。ハイ、というワケでございまして、TOKIO NIGHT CLUB、松岡昌宏がお送りします。ココで1曲聴いて下さい。TOKIOで『太陽と砂漠のバラ』
(曲演奏)
ま、ライブも終わりまして、ツアー、TOKIO OVER 30'S ツアーという。ま、今回は、ま、東京、名古屋、大阪、で、5回ぐらいしか無かったんですけども、スゴク、中身の濃いライブになったんじゃないかと思います。ま、ちょっと、初めての試みがいろいろあったんでね、お客さん中では、とまどいの方もいたかも知れませんけど、今回はですね、いつもだと、メンバー、ちょっと、全員で、こうしよう、ああしよう、あぁしよう、っていう風なコンセプトでライブ作っていくんですが、今回は全て、長瀬、ウチのボーカル長瀬がですね、全てプロデュースしまして、グッズから、衣装から、照明から、ナニからナニまで長瀬がちょっとやってみるっていう、アレだったんで、じゃ、任せてみようと、えぇ、ということでございまして、え~、でも、スゴク、あの、ナンて言うのかな、より音楽的なものが、あの、出来たんじゃないかなという、そして、他の4人がね、スゴク、とても、あの、やりやすく出来ましたし、うん、ま、ナンか、多分、リーダーなんかも言ってましたけど、やっぱり、一番年上から見る、一番年下の長瀬が、こうしよう、あぁしよう、って、ま、曲もアイツがアレンジして持ってきて、ちょっとコレでやるからっていうのをやってる時に、その、ま、全員が30代になったっていうのもあるんですけど、その、やっぱり精神的にも、音楽的にも、ちょうど一つにね、まとまれた、みたいな、え~、いう形があったんで、ま、今回は今回で、こういうライブでスゴク、また面白かったんでね、次のツアーはまた、次のツアーでまたちょっと、違う事をやってみようかなとは思いますけど、え~、この場を借りて、来て頂いたお客さん、ありがとうございました~。またやりますんでね。ナンか、やれば出来るじゃない!オレもナンかね、こういうコト。(笑)ね。え~、10月ですね!10月と言えばですね、え~、誕生日が多い!もう、ナンなんだろ!?10月生まれ、オレの周り多いんだよね~。毎日誕生日、誰かの。疲れるよね~。疲れるよね(笑)ってアレなんだけどさ、要はでも、アレだよね?こんな話したら、語弊があったらアレなんだけど、怒られちゃうかもしんないけど、十月十日(とつきとうか)って言うじゃない?ね?10月10日に生まれてる子っていうのは、簡単、単純計算で元旦だよね?その元旦に…出来てるよね?(笑)ってことは、寒い時だよね?って考えたらですね、オレ、1月11日なのよ。エイプリルフールでしょ?(笑)多分。「今日は大丈夫よ」ってウソつかれたのかな?(笑)まぁまぁまぁまぁ、たまたま、この間、ライブで、その話になってですね、自分たちはどういう風に生まれた(笑)みたいな話をMCで最後したんですけど、えぇ、ワタクシ松岡はですね、え~、197…つまり、6年の4月頃ですよね、つまり、ウチのオヤジが、え~、二十…3かな?オヤジが。オフクロが2か。あ、24と23だ。【若いなぁ~】で、お金が無かったんですね、2人で生活してて。それで、あの、家にお風呂なんか、無いですから、その、銭湯に、当時みんなね、行ってるワケですよ。神田川じゃないけど。その銭湯に行くお金も無かったんですって。それで、あの(笑)銭湯に行くのに、当時、ナニ、例えば、ジュースの瓶、ありますね?今、無くなったなぁ、1リットル瓶【知らない…】!アレってね、酒屋にね渡すと、20円か30円になったんですよ。僕もよくやりましたけど。ビール瓶が5円。ね。それで2人で、その、空き瓶を集めてですね、銭湯行ったんですって。で、銭湯に行ったら、その、俗に言う、避妊するモノが買えなくなってしまったんですって。今日は大丈夫だろうと、いうんで、出来たってことを聴いてですね(笑)、オレ、それ、中学の時に、オフクロから言われてですね、あの、(笑)今だから、笑えるんですけど、ちょっと、その、オフクロと、僕もちょうど中学って、反抗期じゃないですか。ま、言っちゃいけない言葉ですよね、母親に。もう、今でも反省してますけど、「じゃ、ナンで生んだんだよ!」と。ま、よくドラマのワンシーンであるようなことを言ってしまったです。「30円足りなかったのよっ!!!」って言われたんですよ(笑)。もう、「はっ!?」だよ!もう、喧嘩終わり、そこで。「ナニ?それ!」みたいな。で、こうで、こうで、こうでって。…大爆笑ですよ。「イェーイ!」ナンつって。めでてぇ親子だなと思いながら、えぇ。でもね、その30円足りなかった子供がココまで頑張りゃ、元は取れたんじゃないでしょうかね?オフクロ(笑)。オヤジもオフクロも元は取れたと思うんっすけどね(笑)。まぁ、だから、ガンバロ!えぇココで1曲聴いて下さい。TOKIOで『スベキコト』
(曲演奏)
さ、メールたくさん頂いてまーす!ありがとうございます。ご紹介しましょう。「私は介護職員ですが、働いている施設で今度、北海道のソーラン節を」あ、ソーラン節ね「リハビリの先生と踊ります。結構ハードなんですが、松岡くん、踊れますか?」ということですけど、オレ、ソーラン節、多分、子供の頃、やったなぁ。北海道、定番なのかなぁ?でも、学校じゃなかったなぁ。多分ね、地域のナンか、お祭りだったのかなぁ?あの、今はどうか知らないけどさ、オレら子供の頃って、ナニかにつけて、親が酒飲みたいから、ナンか、祭りやんのよ。(笑)多分、そん時、ソーラン節やったと思う。で、この間ね、オレの友達とも、その話で盛り上がったんだけど、今って、ま、全部とは言わないけど、運動会。給食とか多いんだってね?給食だったり、教室で、みたいなね。オレらガキの頃って、スゴかったよ。鍋、ジンギスカン、ガスコンロとか、みんな持ち込んでたから。見てない、見てない、子供の競技。宴会だから。お父さんとか、借り物競走とかでさ、お父さんのメガネとかってったら、もう、お父さん、大変だったもん!一緒になんか、親子でやるとかいったら、ベロベロでさ、みんな。だけど、あの、ウチらん時もあったんだけど、親がさ、働いてて来れない子とかいたけど、でも、そん時って、オレらの時代は一緒に食べてたよ。みんな、座れ!座れ!っつって、で、勝手にナンか、いろんなトコのを自由に手出したり、ジンギスカン食ったり、鍋食ったりしてたから、そういうコミュニケーションがあったよね。それって結構大事な気がするんだけど、ま、別にそんなの、オレが言ってもしょうがないんだけど、(笑)次!「手塚治虫さんの鉄腕アトムをハリウッドがCGアニメ化したアトムを見に行ってきました」あぁそうだね、今やてますね。「私は手塚治虫さんの作品を見るのは初めてだったんですが」おぉ「スゴくヨカッタです。手塚治虫さんの漫画を読んでみたくなりました。松岡くんは手塚作品の中で、一番好きなのはナンですか?」と。ダントツに火の鳥ですね~、僕は。火の鳥は深いね~。子供ながらに怖いなぁと思ったな。悪いコトをした人が罰を受けるんだけど、その、一番ツライ罰っていうのが、死ねないっていうことなの。みんな周りが死んで行くんだけど、自分はずっと永遠に死ねないの。死ねない、子供心に、死ねないって、ナンの罰になるの?って思ったんだけど、あぁ、なるほどねって、もう恋愛も出来ないワケだよ。つまり、ゴールがないから、途方に暮れるって、こういうことなんだ、みたいなさ。深いなぁ~みたいな。それを幼稚園、違うな、小学校の時か?スゲぇ、深いなと思って、あぁ。あとはジャングル大帝かな。も、見たし、アトムはね、オレら、子供の頃、見てましたけど。だけどアレ、面白いんだよね。アトムもさ、手塚先生のトコにさ、みんな、いろんな方が、ま、漫画の神様だから、いろんな方がお弟子さんでいたワケじゃない、アシスタントでさ。だから、手塚さんがお書きにならない、あの、アトムとかもいるのよ。だからちょっと、ビミョーに違うんだよね。藤子先生とかさ。赤塚不二夫さんが書いたアトムって、完璧な赤塚ワールドなんだよね(笑)。アレ、面白いんだよね。えぇ。あと、アレでしょ?有名なナンとか荘って、トキワ荘か、あそこにいた人とかね。だけど、オレ、手塚治虫さんって方は、もちろんお会いしたことないし、判らないけど、手塚治虫さんがスゴイなぁって思うのは、生涯現役だったっていう話をよく聴くじゃないですか。アレはスゴイよね。ある漫画のコンテストがあって、審査員に選ばれて、ね、その審査員をおやりになって、そのコンテストの方に、「僕は次から出ないでいいですか?」と言って、「ナンでですか?先生」って言ったら、「僕がコンテストの審査員やったら僕の作品、選ばれないよね?」って言ったっていうエピソード。だから、きっと、あそこまで現役で、おやりになったんじゃないかなぁって。だから、漫画読んでると、いろんなところに出てくるもん、手塚治虫さんの話。やっぱ、スゴいね!神様。野球の神様、ロックの神様、とかいるけど、やっぱ、漫画の神様はね、手塚治虫先生なんだね。「ゴルフの石川遼くんが賞金一億円突破しましたね」」ホントですね、スゴイね~。「私は時給700円でバイトしているのに、同じ高校生で遼くんは一億。スゴイなぁと思いました。松岡くんは自分の年下の人で、この人スゴイなと思う人は誰ですか?」あぁ、いっぱいいますよ、そんなの。人と自分を比べちゃダメだ!遼くんは遼くんだよ。もう、オレだって勝てないよ、遼くんなんて、そんなの。ムリムリムリ!遼くんは遼くん!だけど、~にしか出来ないこともあるワケだから。それは遼くん出来ないからね。そんなの、お金じゃないし。だけど今はスゴイね、みんな(笑)確かに。そんなこと言ったら、年下って、みんなスゴイよ!年下でオレよりスゴクないのなんていうのは、アレだよ、内山と渡部豪太ぐらいなもんだ(笑)。そうだよ、あとはみんなスゴイよ!だって、ウチの小僧達だって、スゴイじゃん、ナンか、もう。コンサートとか見ててもさ、映像とか見てても。オレ、この間、ビックリしたもん、あの、櫻井翔がさ、国立のライブやった後、ニュースZERO出てたじゃん!スゲぇなぁ~翔!!!と思ったもん、オレ。いやぁ、スゴイ!スゴイ!いっぱい、いるよ。頑張って!オレも頑張るから(笑)。ね、というワケでございました。え~、じゃ、ココで1曲聴いて下さい。10月28日発売の、ニューシングルなんですか、コレ?【まだ発売されてないからね、ニューだよね(* ̄m ̄)プッ】ね、KinKi Kidsで『スワンソング』
(曲演奏)
TOKIO NIGHT CLUB、松岡昌宏がお送りしました。エンディングのプチコーナー『懐かしマボ・メモリー』本日は、51年前、スゴイね、半世紀以上前だ。振り返ってみたいと思います。51年前、1958年のこの頃、10月の18日、日本で初めてのフラフープが発売されました。あ~、そうなの?そんな前なの?フラフープって。1958年、アメリカで大流行し、日本でも全国一斉に、日本製の商品の発売が開始されました。なるほどね。フラフープ熱は日本中に広がり、朝からデパートに行列が出来るほどの大人気ブーム。1本270円。1カ月で約80万本という爆発的な売上記録と。はぁ~。日本人ってさ、流行るとそればっかりだよね。オレ、子供ながらに、ナンだろうと思ってたもん。オレらガキの頃に流行ったのは、アレだよ、ポンピング!?乗って、ポーンポーンポーンポーンみたいの。あぁ、買ってもらえなくてさ、悔しかった。そん時に思ったの。ナンだよ、みんな流行ってるからって。自分が買ってもらえないから。あと、一時、スニーカーもあったね。エアマックスだ。あぁ。アレも流行ってたよね?というワケでございました。さて、来週のTOKIO CLUBは、ナンだ、このサザエさんみたいな(笑)。え~、「松岡プロファイリング」スペシャル企画。ジャニーズ事務所の後輩たちは、オレをどう思ってるのか、KAT-TUNの田口、田中、タッキーに、ガチで聴いてるらしです。え~、どんなこと言われても、ワタクシはZettaiに、番組では怒りません。(笑)あとは知りませんけど。(笑)んなことないですけど。さ、番組ではワタクシ松岡への質問や、お悩み、普通のお便り、さらにクイズ松岡への出場者の募集をしております。【お便り等宛先告知略】TOKIO NIGHT CLUB、松岡昌宏がお相手でした~。バイバイ!
こんばんは。松岡昌宏です。オープニングのコーナー「松岡的タレント名鑑」。本日は「そ」。「そ」って少ないのよ。今、携帯見たんですよ。一人しか入ってないの、「そ」が。(笑)ご紹介します。そうる透さん。(笑)え~、おぉーー!っていう方と、はぁ!?って方と(笑)いると思うんですけども、え~、ナニを隠そう、そうる透さんという方は、プロドラマーですね。もう、ミュージシャンです。もう、日本を代表する有名なドラマーの方であり、え~、ナニを隠そう、私の師匠です。だから、僕の使ってるスティックもウチの師匠のそうる透モデルですね。DVDも結構出してます。ドラム関係のものとか。ま、出会いはですね、僕が二十歳ぐらいの時ですかね?19か?出会いの時ですから、もうカレコレ、14年とかなるんですけれども、え~、ちょっとやっぱり、いろんな、僕、ドラムスクールとか行った事がなかったので、それまでずっと独学で、あの、ドラムをやってたんですね。で、そのある時に、レコーディングをしてる時に、やはり、行き詰るという部分が出てきまして、それで、これはちょっと、あの、イイ人いるから見てもらえよという形でご紹介してもらったのが、そうる透さんだったんですね。ま、もう、スゴイ長い付き合いになりますけれども、もう、ホントに公私ともに仲良くさせてもらってる、いいオジちゃんです。結構離婚してますけど(笑)。結構離婚してます。あ、面白いエピソードあります!え、(笑)何年か前に、一緒にリハーサルやってる時に、「いやぁ、今日さぁ、マツ、イイ女いてさ、うわぁと思って、思わず戻ってさ、見に行ったら、いっとう最初のカミサンだった」(笑)って、そういうロックな男です。ハイ、というワケでございまして、TOKIO NIGHT CLUB、松岡昌宏がお送りします。ココで1曲聴いて下さい。TOKIOで『太陽と砂漠のバラ』
(曲演奏)
ま、ライブも終わりまして、ツアー、TOKIO OVER 30'S ツアーという。ま、今回は、ま、東京、名古屋、大阪、で、5回ぐらいしか無かったんですけども、スゴク、中身の濃いライブになったんじゃないかと思います。ま、ちょっと、初めての試みがいろいろあったんでね、お客さん中では、とまどいの方もいたかも知れませんけど、今回はですね、いつもだと、メンバー、ちょっと、全員で、こうしよう、ああしよう、あぁしよう、っていう風なコンセプトでライブ作っていくんですが、今回は全て、長瀬、ウチのボーカル長瀬がですね、全てプロデュースしまして、グッズから、衣装から、照明から、ナニからナニまで長瀬がちょっとやってみるっていう、アレだったんで、じゃ、任せてみようと、えぇ、ということでございまして、え~、でも、スゴク、あの、ナンて言うのかな、より音楽的なものが、あの、出来たんじゃないかなという、そして、他の4人がね、スゴク、とても、あの、やりやすく出来ましたし、うん、ま、ナンか、多分、リーダーなんかも言ってましたけど、やっぱり、一番年上から見る、一番年下の長瀬が、こうしよう、あぁしよう、って、ま、曲もアイツがアレンジして持ってきて、ちょっとコレでやるからっていうのをやってる時に、その、ま、全員が30代になったっていうのもあるんですけど、その、やっぱり精神的にも、音楽的にも、ちょうど一つにね、まとまれた、みたいな、え~、いう形があったんで、ま、今回は今回で、こういうライブでスゴク、また面白かったんでね、次のツアーはまた、次のツアーでまたちょっと、違う事をやってみようかなとは思いますけど、え~、この場を借りて、来て頂いたお客さん、ありがとうございました~。またやりますんでね。ナンか、やれば出来るじゃない!オレもナンかね、こういうコト。(笑)ね。え~、10月ですね!10月と言えばですね、え~、誕生日が多い!もう、ナンなんだろ!?10月生まれ、オレの周り多いんだよね~。毎日誕生日、誰かの。疲れるよね~。疲れるよね(笑)ってアレなんだけどさ、要はでも、アレだよね?こんな話したら、語弊があったらアレなんだけど、怒られちゃうかもしんないけど、十月十日(とつきとうか)って言うじゃない?ね?10月10日に生まれてる子っていうのは、簡単、単純計算で元旦だよね?その元旦に…出来てるよね?(笑)ってことは、寒い時だよね?って考えたらですね、オレ、1月11日なのよ。エイプリルフールでしょ?(笑)多分。「今日は大丈夫よ」ってウソつかれたのかな?(笑)まぁまぁまぁまぁ、たまたま、この間、ライブで、その話になってですね、自分たちはどういう風に生まれた(笑)みたいな話をMCで最後したんですけど、えぇ、ワタクシ松岡はですね、え~、197…つまり、6年の4月頃ですよね、つまり、ウチのオヤジが、え~、二十…3かな?オヤジが。オフクロが2か。あ、24と23だ。【若いなぁ~】で、お金が無かったんですね、2人で生活してて。それで、あの、家にお風呂なんか、無いですから、その、銭湯に、当時みんなね、行ってるワケですよ。神田川じゃないけど。その銭湯に行くお金も無かったんですって。それで、あの(笑)銭湯に行くのに、当時、ナニ、例えば、ジュースの瓶、ありますね?今、無くなったなぁ、1リットル瓶【知らない…】!アレってね、酒屋にね渡すと、20円か30円になったんですよ。僕もよくやりましたけど。ビール瓶が5円。ね。それで2人で、その、空き瓶を集めてですね、銭湯行ったんですって。で、銭湯に行ったら、その、俗に言う、避妊するモノが買えなくなってしまったんですって。今日は大丈夫だろうと、いうんで、出来たってことを聴いてですね(笑)、オレ、それ、中学の時に、オフクロから言われてですね、あの、(笑)今だから、笑えるんですけど、ちょっと、その、オフクロと、僕もちょうど中学って、反抗期じゃないですか。ま、言っちゃいけない言葉ですよね、母親に。もう、今でも反省してますけど、「じゃ、ナンで生んだんだよ!」と。ま、よくドラマのワンシーンであるようなことを言ってしまったです。「30円足りなかったのよっ!!!」って言われたんですよ(笑)。もう、「はっ!?」だよ!もう、喧嘩終わり、そこで。「ナニ?それ!」みたいな。で、こうで、こうで、こうでって。…大爆笑ですよ。「イェーイ!」ナンつって。めでてぇ親子だなと思いながら、えぇ。でもね、その30円足りなかった子供がココまで頑張りゃ、元は取れたんじゃないでしょうかね?オフクロ(笑)。オヤジもオフクロも元は取れたと思うんっすけどね(笑)。まぁ、だから、ガンバロ!えぇココで1曲聴いて下さい。TOKIOで『スベキコト』
(曲演奏)
さ、メールたくさん頂いてまーす!ありがとうございます。ご紹介しましょう。「私は介護職員ですが、働いている施設で今度、北海道のソーラン節を」あ、ソーラン節ね「リハビリの先生と踊ります。結構ハードなんですが、松岡くん、踊れますか?」ということですけど、オレ、ソーラン節、多分、子供の頃、やったなぁ。北海道、定番なのかなぁ?でも、学校じゃなかったなぁ。多分ね、地域のナンか、お祭りだったのかなぁ?あの、今はどうか知らないけどさ、オレら子供の頃って、ナニかにつけて、親が酒飲みたいから、ナンか、祭りやんのよ。(笑)多分、そん時、ソーラン節やったと思う。で、この間ね、オレの友達とも、その話で盛り上がったんだけど、今って、ま、全部とは言わないけど、運動会。給食とか多いんだってね?給食だったり、教室で、みたいなね。オレらガキの頃って、スゴかったよ。鍋、ジンギスカン、ガスコンロとか、みんな持ち込んでたから。見てない、見てない、子供の競技。宴会だから。お父さんとか、借り物競走とかでさ、お父さんのメガネとかってったら、もう、お父さん、大変だったもん!一緒になんか、親子でやるとかいったら、ベロベロでさ、みんな。だけど、あの、ウチらん時もあったんだけど、親がさ、働いてて来れない子とかいたけど、でも、そん時って、オレらの時代は一緒に食べてたよ。みんな、座れ!座れ!っつって、で、勝手にナンか、いろんなトコのを自由に手出したり、ジンギスカン食ったり、鍋食ったりしてたから、そういうコミュニケーションがあったよね。それって結構大事な気がするんだけど、ま、別にそんなの、オレが言ってもしょうがないんだけど、(笑)次!「手塚治虫さんの鉄腕アトムをハリウッドがCGアニメ化したアトムを見に行ってきました」あぁそうだね、今やてますね。「私は手塚治虫さんの作品を見るのは初めてだったんですが」おぉ「スゴくヨカッタです。手塚治虫さんの漫画を読んでみたくなりました。松岡くんは手塚作品の中で、一番好きなのはナンですか?」と。ダントツに火の鳥ですね~、僕は。火の鳥は深いね~。子供ながらに怖いなぁと思ったな。悪いコトをした人が罰を受けるんだけど、その、一番ツライ罰っていうのが、死ねないっていうことなの。みんな周りが死んで行くんだけど、自分はずっと永遠に死ねないの。死ねない、子供心に、死ねないって、ナンの罰になるの?って思ったんだけど、あぁ、なるほどねって、もう恋愛も出来ないワケだよ。つまり、ゴールがないから、途方に暮れるって、こういうことなんだ、みたいなさ。深いなぁ~みたいな。それを幼稚園、違うな、小学校の時か?スゲぇ、深いなと思って、あぁ。あとはジャングル大帝かな。も、見たし、アトムはね、オレら、子供の頃、見てましたけど。だけどアレ、面白いんだよね。アトムもさ、手塚先生のトコにさ、みんな、いろんな方が、ま、漫画の神様だから、いろんな方がお弟子さんでいたワケじゃない、アシスタントでさ。だから、手塚さんがお書きにならない、あの、アトムとかもいるのよ。だからちょっと、ビミョーに違うんだよね。藤子先生とかさ。赤塚不二夫さんが書いたアトムって、完璧な赤塚ワールドなんだよね(笑)。アレ、面白いんだよね。えぇ。あと、アレでしょ?有名なナンとか荘って、トキワ荘か、あそこにいた人とかね。だけど、オレ、手塚治虫さんって方は、もちろんお会いしたことないし、判らないけど、手塚治虫さんがスゴイなぁって思うのは、生涯現役だったっていう話をよく聴くじゃないですか。アレはスゴイよね。ある漫画のコンテストがあって、審査員に選ばれて、ね、その審査員をおやりになって、そのコンテストの方に、「僕は次から出ないでいいですか?」と言って、「ナンでですか?先生」って言ったら、「僕がコンテストの審査員やったら僕の作品、選ばれないよね?」って言ったっていうエピソード。だから、きっと、あそこまで現役で、おやりになったんじゃないかなぁって。だから、漫画読んでると、いろんなところに出てくるもん、手塚治虫さんの話。やっぱ、スゴいね!神様。野球の神様、ロックの神様、とかいるけど、やっぱ、漫画の神様はね、手塚治虫先生なんだね。「ゴルフの石川遼くんが賞金一億円突破しましたね」」ホントですね、スゴイね~。「私は時給700円でバイトしているのに、同じ高校生で遼くんは一億。スゴイなぁと思いました。松岡くんは自分の年下の人で、この人スゴイなと思う人は誰ですか?」あぁ、いっぱいいますよ、そんなの。人と自分を比べちゃダメだ!遼くんは遼くんだよ。もう、オレだって勝てないよ、遼くんなんて、そんなの。ムリムリムリ!遼くんは遼くん!だけど、~にしか出来ないこともあるワケだから。それは遼くん出来ないからね。そんなの、お金じゃないし。だけど今はスゴイね、みんな(笑)確かに。そんなこと言ったら、年下って、みんなスゴイよ!年下でオレよりスゴクないのなんていうのは、アレだよ、内山と渡部豪太ぐらいなもんだ(笑)。そうだよ、あとはみんなスゴイよ!だって、ウチの小僧達だって、スゴイじゃん、ナンか、もう。コンサートとか見ててもさ、映像とか見てても。オレ、この間、ビックリしたもん、あの、櫻井翔がさ、国立のライブやった後、ニュースZERO出てたじゃん!スゲぇなぁ~翔!!!と思ったもん、オレ。いやぁ、スゴイ!スゴイ!いっぱい、いるよ。頑張って!オレも頑張るから(笑)。ね、というワケでございました。え~、じゃ、ココで1曲聴いて下さい。10月28日発売の、ニューシングルなんですか、コレ?【まだ発売されてないからね、ニューだよね(* ̄m ̄)プッ】ね、KinKi Kidsで『スワンソング』
(曲演奏)
TOKIO NIGHT CLUB、松岡昌宏がお送りしました。エンディングのプチコーナー『懐かしマボ・メモリー』本日は、51年前、スゴイね、半世紀以上前だ。振り返ってみたいと思います。51年前、1958年のこの頃、10月の18日、日本で初めてのフラフープが発売されました。あ~、そうなの?そんな前なの?フラフープって。1958年、アメリカで大流行し、日本でも全国一斉に、日本製の商品の発売が開始されました。なるほどね。フラフープ熱は日本中に広がり、朝からデパートに行列が出来るほどの大人気ブーム。1本270円。1カ月で約80万本という爆発的な売上記録と。はぁ~。日本人ってさ、流行るとそればっかりだよね。オレ、子供ながらに、ナンだろうと思ってたもん。オレらガキの頃に流行ったのは、アレだよ、ポンピング!?乗って、ポーンポーンポーンポーンみたいの。あぁ、買ってもらえなくてさ、悔しかった。そん時に思ったの。ナンだよ、みんな流行ってるからって。自分が買ってもらえないから。あと、一時、スニーカーもあったね。エアマックスだ。あぁ。アレも流行ってたよね?というワケでございました。さて、来週のTOKIO CLUBは、ナンだ、このサザエさんみたいな(笑)。え~、「松岡プロファイリング」スペシャル企画。ジャニーズ事務所の後輩たちは、オレをどう思ってるのか、KAT-TUNの田口、田中、タッキーに、ガチで聴いてるらしです。え~、どんなこと言われても、ワタクシはZettaiに、番組では怒りません。(笑)あとは知りませんけど。(笑)んなことないですけど。さ、番組ではワタクシ松岡への質問や、お悩み、普通のお便り、さらにクイズ松岡への出場者の募集をしております。【お便り等宛先告知略】TOKIO NIGHT CLUB、松岡昌宏がお相手でした~。バイバイ!
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